ジェイルバード

ジェイルバード (ハヤカワ文庫 SF (630))

ジェイルバード (ハヤカワ文庫 SF (630))

昔読んで面白かった本を読みなおすというのは、なかなか勇気と時間の余裕がいることで、わざわざ良い印象を崩すようなことになりかねない。けれどやはりジェイルバードは面白かった。

ハートがない、男の話なのだけれど、それをポリシーとも置き換えることができるのではないかとふと思ってから気になり本に手が伸びました。(それは個人的にポリシーがないことを人に指摘されたことに起因しているのだけれど。)

主人公のウォルターはなんとなく恵まれた環境の中で深く考えず生きている中で、悪気なく発言したことが原因で将来有望な友人を窮地に追い込んだり、ウォーターゲート事件に巻き込まれたり、息子に愛想尽かされたりすることに至るが、それはつまりポリシーが欠如しているからではないか、と思いました。

私自身、人生で進路を決めざる負えないタイミングでは、とりあえず自分の興味や関心のあることをあさり、とりあえずハリボテの夢や目標を掲げ進んできたけれど、そんなものすぐ自分も愛想を尽かしいつの間にか消え去ってしまっている。夢を追いかける人や芯がある人、自分にとってのこれってものを持っている人に憧れます。

人の影響を受けやすいというか、見聞きしたものを吸収したがったり、まるで彼氏がすごいから自分もすごい、すごくなれると勘違いする女のような、浅はかさ嫌気がさすというか、ポリシーをもっている人の前ではどうしても卑屈になります。

だからこそ、これってもものを何とかつかみたいとあがくのだけれどポリシーやハートがない人間はどうしたらよいのか。その答えがこの小説には書かれているような気がします。以下引用。

わたしはまた泣き始めていた。
「あなたが本気じゃなかったのは知ってるのよ」
「本気さ、本気だった」私は抗議した。「嘘じゃない―本気だった」
「もういいのよ」彼女はいった。「ハートを持たずに生まれてきたのは、あなたのせいじゃないわ。少なくともあなたは、ハートを持った人たちが信じていたことを、信じようとした―だからあなたもやっぱりいい人なのよ」