ボロ家の春秋

ボロ家の春秋 (講談社文芸文庫)

ボロ家の春秋 (講談社文芸文庫)

全編を通じてなんだか妙だなぁと思ってしまいました。主人公の視点からみると一枚の薄い膜に覆われて人や社会と接している、されているような錯覚を受けるて、人と打ち解けることが絶望的に思えてきます。主人公は人と打ち解けることを望んでいるかというと必ずしもそうではないかもしれないけど、どこか打ち解けられないことへの哀しさが流露していると感じました。この薄い膜は誰しもが感じたことがあるものなのでしょうか、それとも感じる人は消極的なだけなのでしょうか。
表題作では、主人公と同居人の大それたことは望まないがせめてこのくらいはだれにも文句を言わせないという器量の小ささばかりが目立つうえ、蛇に睨まれた蛙ではないけれど、蛙同士で小さなことにこだわって小競り合いをしているところを蛇に呑みこまれるような、矮小な人間像がとても身に染みました。
表題作以外には、Sの背中、蜆、記憶あたりも面白かったです。