くらやみの速さはどれくらい

自閉症*1者の話らしい、そして21世紀版アルジャーノンに花束をと形容されている、という事前情報を持って読み始めました。
読み初めてまず、あれなんだか変だなぁと思っていると、自閉症の主人公のルウ視点で語られているからとわかりました。ただ私は最初自閉症が具体的にどういう症状なのか分からなかったですし、特別過去に自閉症の人と話したことがないですので、どいう風に彼彼女らが認識しているかということも当然分からず、戸惑いました。
ちなみにあとがきにも触れてあったのですが、どちらかというとアスペルガー症候群*2ぽいようです。心の理論*3と呼ばれるものが未発達であり、それにおいて人間関係に支障をきたすみたいです。
そして彼らは誤解されているのが分かります。自閉症をよく知らなかった私のように、彼らの周りの人は、彼らが一体どのような障害があるのか、がわからず、必要以上な態度で、例えば子供に接するようにや知的障害があるよう接する、など、そのようなズレが生じます。
また私自身良く知らなかったのですが、自閉症者は視覚の優位性があり数学やパターン解析においては、健常者よりも能力を発揮する場合があるようで、ルウはそれをいかした職業についています。
ルウはそのような理解不足によるズレ、またまったく自閉症と関係ない差別を受けて行きます。ただルウは健常者に対して、一部の健常者がルウに抱く認識不足のように、誤った認識を抱いています。例えば、相手が何を考えているか常に分かっているような。

この小説を読んで思ったのは、自閉症に限らず障害や病気などは、1か0かで分けられるものでなく、1か100のその間の程度の問題では、ということです。100じゃなければ0なのか?というと0ではなく、40の人もいれば、10や60の人もいる。ただ現実100だけが自閉症と判断され、他は0であるようになってしまっているような気がします。また自閉症と関係ない差別など、も人間の機能が10あるとして、自閉症のように1おかしければ、すべてその人自体がおかしい、と認識されてしまうこともある気がすると思いました。
これは自閉症者の問題ではなく、むしろ医師によって診断されていないからこそよけいやっかいで、すべての人が該当する認識においての困難な問題だと思いました。

個人的にはフェンシングにおけるルウの視点から語られるパターン認識の考え方が新鮮でした。物事やその流れのパターンを掴んで、闘うシーンはとても面白かった。物語上では、自閉症が治る実験に参加するか否かが一つの争点になります。もしかするとまったく別の人間になってしまうかもしれない、それでも健常者になりたいか?という。
少なからず変化することに対する疑問は、誰しも共有できる問題だと思います。記憶が無くなるまで変わることはないですが、変わることはいいことなのか、悪いことなのか、ということは誰しも考えるのではないでしょうか。変化することで得るもの、失うもの、その天秤に揺られます。
ただ実際なってみないと分からないですし、何もしなくても、時間は流れ環境は変化していく。その中で、自分で時計の針を進めるかどうか、ということが結局一番の問題になるのでは。

そうしてルウが下す決断。知らないことは知ることの前にやってくる。現在は過去の前に、未来は現在の前にやってくる。
くらやみが光より先にある限りこれからするべきことがたくさんあるというルウはとても魅力的でした。

*1:社会性や他者とのコミュニケーション能力の発達が遅滞する発達障害の一種、先天性の脳機能障害、認知障害

*2:知的障害がない自閉症

*3:自己と他者の識別、自分や他者の心の動きを推測する能力