浮世でランチ

浮世でランチ (河出文庫)

浮世でランチ (河出文庫)

おもしろかった。読んでいて、角田光代対岸の彼女を思い出した。女性の現在と過去(学生時代)の二つが交互に語られ、重なって思える構成が。
ただ対岸の彼女では視点が別々で、現代の主人公と、その友人の過去が語られており、その現代の主人公と友人の過去の悩みの根本が似ていてリンクしているように思える複雑な構成に対して、浮世でランチのは一人の女性の過去現在が語られている。

現在と過去ではちょうど10年の差がある。10年で成長しているとも思えるし、あまり変わっていないようにも取れる。悩みは変わらず、ただ大人になったことが変わったように。

なかなか刺激的な科白が使われており、印象に残る。

最後のあたりミャンマーで会うのが、学生時代にミャンマーに去って行った犬井に合うようににおわせておいて、実際会うのが、19年前絶交した新田さんで、なんという再会にとまどうけれど、当時の互いの主張のすれちがいを理解しえるようになっていた。

学生時だって、自分の意見が完全に正しいと思ってたのではなく、そして相手が完全に間違っていると思っているわけではおそらくなくて、自分に非があると認めるとすべてを失うような不安があり、自分の主張すがるようにしかできない、余裕がなかったからだと思う。

新田さんが昔、主人公に人の弱い部分を見ようとしない受け入れない。強い部分だけを受け入れている。と指摘されたが、主人公は自分は強い、必要以上にいちゃいちゃしない、なれあいしないみたいな主義だったけど、その時も好きなタカソウと主人公より仲よくする新田に嫉妬したりするわけで、自分の主張にも欠点があるのはわかってたけど、強がっていた。自分の弱さを認められないから、他人の弱さを許さず否定する。

しかし現在になって正しい間違っているていうのは尺度の問題で、尺度の数は人の数だけあるし、意見ではなく尺度、問題意識といえばいいか、それを理解するこてはできるのではないかと。他者を受け入れるとはそういうことではないのかと。
その思考の変化は自分の弱さ?欠点を見つめるようになれたからではないかな。

主人公は、世界が自分の視点から見えているものだけでない、自分の視界をコントロールできない、ことに考えがいたり、他者を受けて入れていくことに自身の成長を見出していく。

犬井には結局あえずじまいだっり、あんなに好きだったタカソウも現代では全然出てこず、ミカミさんも一方的で謎な人のままで、学生時の神様の文通も結局だれなのか分からずじまいで、いくつかの謎を解決せずあっさり終わるけど、
それは自分の視界がコントロールできないことと同じことで、現実が物語のように何もかもすっきりけりがついていくわけないということを表現しているように感じた。